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静岡地方裁判所 昭和47年(行ウ)6号 判決 1974年11月12日

原告 神谷恭平

被告 静岡県教育委員会

主文

被告が昭和四五年三月三一日原告に対してなした依願免職処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  原告

主文と同旨の判決。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四五年三月二四日当時、静岡県庵原郡蒲原町立蒲原中学校教諭であつた。なお、原告は、いわゆる「県費負担教職員」(市町村立学校職員給与負担法第一、第二条)であつた。

右同日当時、訴外北条周治は蒲原町教育委員会教育長(以下北条教育長という)、同井上民三は蒲原町町長(以下井上町長という)、同堤保久は蒲原中学校校長(以下堤校長という)、同磯部博は蒲原町教育委員会事務局教育課課長(以下磯部課長という)、同中島秀雄は同教育課学校教育係係長(以下中島係長という)、同石田公夫は静岡県中部教育委員会主事(以下石田主事という)、同高柳義夫は蒲原中学校PTA会長(以下高柳PTA会長という)の職にあつた。

被告は原告のような、いわゆる「県費負担教職員」の任命権を有している(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三七条)。

2  被告は、原告の被告宛昭和四五年三月二五日付辞職願に基いて、同月三一日、原告に対して依願免職処分をなした。

3  しかし、原告は第1項記載の訴外人らによつて強制されて右辞職願を作成したものであり、右辞職願は原告の真意に基くものではない。

その強制の経緯は次のとおりである。

(一) 昭和四五年三月二四日

(1) 午前九時ころ、原告は北条教育長から蒲原町役場に呼出され、辞職願への署名を強要された。その際磯部課長は原告に対し、「おまえはなぐられるまで待つているのか」などの暴言をあびせた。

(2) 引き続き、原告は同役場「なぎさの間」および町長室において、午前一一時ころから午後一〇時ころまで軟禁状態に置かれ、北条教育長、堤校長、石田主事、磯部課長、中島係長らから、こもごも辞職願に署名するように強要された。この間、石田主事は「おまえは物理的作用を及ぼさないと書かないのか」などの暴言をはいて原告を脅迫した。

原告はこれより前昭和四四年三月一九日、蒲原中学校の校長室において、石田主事らに軟禁され辞職願を書くように強制されたうえ、訴外今沢・佐野両教諭より数十回殴打されるなどの暴行をうけ傷害を負つたことがあつたので、この間、生きた心地がしない程の恐怖を受けた。

しかし、原告に辞職の意思がみられないため、午後一〇時ころ、ようやく原告は解放された。

(二) 同月二五日午前

(1) 午前八時ころ、磯部課長および中島係長は原告が居住していた蒲原町の吹上寮に突如自動車で乗りつけ、無断で原告の部屋に押入り、原告が拒否したにも拘らず、原告を自動車に乗せて蒲原中学校に連行した。その際、磯部課長は「PTAの役員が学校に押しかけて来た。北条教育長は何をされるか判らなくて、怖くて、名古屋へ逃げた」などと原告を脅迫した。

(2) 引き続き、同校宿直室において、高柳PTA会長らPTA役員多数が、こもごも「もし辞めなければ、明日にでも、明後日にでも、PTAの役員と父兄を全部運動場に呼んで先生のいる前で騒ぎ立ててほうり出す。」などの暴言をはいて、原告に辞職を迫つた。

(3) 更に、堤校長、教頭、磯部課長、中島係長、高柳PTA会長、その他PTA役員らが原告を取り囲み、原告に辞職願の用紙をつきつけて、「やめろ。」「名前を書け。」などと言つてつめより、そのために宿直室は混乱状態に陥つた。

(4) そこで、堤校長は原告を校長室に呼び、堤校長、高柳PTA会長、磯部課長、中島係長らで原告を取り囲み、辞職願の用紙をつきつけ署名を強要した。

原告は辞職の意思など毛頭なかつたので、辞職願の用紙を突きつけられるたびに故意に手を震せて、字にならない字を書いた。

堤校長は、原告の様子をみて「落着くまで線を書いてみろ。」「横に線を書け。」など不当な要求をしつづけた。その際、「書いている態度を見れば書く意思のあつたことが判るから撮つておけ。」と言つて、中島係長がカメラを持出して原告を撮影しようとした。

この間、原告は何度も便所へ行つたが、そのたびに磯部課長、中島係長が便所までついて来て監視した。

堤校長らは、原告の所望した何回目かのコツプの水の中に「アトラキシン」を溶かして原告に与えた。原告はあまりのにがさに途中で飲むのを止めたが、堤校長らの人間性を無視した扱いに憤慨した。

堤校長は、さらに「もう落着いたろう」と言つて辞職願の用紙をつきつけて署名を強要した。そこで原告は故意に以前にも増して手を震わして署名した。

(5) そのようにして辞職願を数枚書かせた後、磯部課長らは「判を押せ。」と言い、原告が「持つていない。」と答えると「どこにある。」と再三にわたつて原告を追及した。原告がやむを得ず「下宿にある。」と答えると、「中島係長が原告を自動車に乗せて吹上寮まで連れてゆき、原告に印鑑を持つてこさせた。

(6) 校長室へ戻ると、原告は判を押すように強要された。原告はその都度判を押す真似をしては止めた。すると中島係長が両手で原告の手を押えつけて、無理やり判を押させてしまつた。そして原告が判を押した辞職願を取り戻そうとするのを振り払つて、中島係長が持つていつてしまつた。

しかし、右辞職願の原告の署名は全く「字」の態をなしていなかつた。

(三) 同日午後

(1) 右辞職願の原告の署名が全く「字」にならない、判読すらできないものであつたため、堤校長は午後再び原告を校長室に呼びつけた。

(2) 原告は辞職願を書く意思がなかつたので、校長室に入る前に、所持していた印鑑を職員室のゴミ箱に捨ててしまつた。

(3) 校長室では、井上町長、堤校長、磯部課長、中島係長らが原告を取り囲み、井上町長が「なぜ判を押さないんだ。」と原告を頭からどなりつけた。そして、辞職願の用紙を持つて来て、大声で「書け。」と言つて、署名を強要した。原告は町長までが自分をどなりつけたので、全身の力が抜けてしまう程の恐怖を受けた。

(4) 原告は強制されるままに、新たに辞職願に署名したが、後のことを考えて故意に通常の状態での字とは思えないような震えた字で署名した。

(5) すると、井上町長らは、こもごも「判を押せ。」と言つて捺印を強要したが、原告が「判はない。」と答えると、磯部課長、中島係長が原告のポケツトに手を突込んで捜しまわつた。

判のないことが判ると、居合わせた事務員が、職員室の原告の事務用の印を勝手に捜し出して持つて来て原告に与えた。原告はその印で捺印するように強要された。

原告が内心憤激しつつこれを拒否すると、中島係長が原告の手を両手でつかみ強引に印を押させようとした。原告は必死にこれを拒んだが、ついて抵抗しきれずに捺印させられてしまつた。

4  本件依願免職処分の基礎となつた原告の辞職願は、右のような数々の常識を越えた異常事態の下で作成されたものである。ことに本件辞職願は、単に多数人による長時間に亘る「つるしあげ」的強制行為によつて作成されたものであるというにとどまらず、右一連の強制行為の実行者が、校長、教頭、町教育委員会教育長、同職員といつた者のみならず、教員の任免等に関し何ら権限を有しない町長、PTA会長、同役員ら町の有力者多数、更には原告の処分権者である静岡県教育委員会の職員石田主事らであるという点でも、特異なものである。

原告は右のような者ら多数の強制により、完全に意思の選択の自由を喪失した状態の下で、強制的に本件辞職願に署名させられたのであり、押印に至つては、全くの物理的強制によつてなされているのであるから、本件辞職願は当然無効のものである。

仮りに本件辞職願が無効でないとしても、その作成に至る経過に鑑みれば、強迫による意思表示として取消しうるものであることは明らかである。原告は、昭和四五年五月二七日、被告を相手として、静岡県人事委員会に対して本件依願免職処分の審査請求をなし、これによつて本件辞職願の取消の意思表示をなした。

従つて、いずれにせよ、本件辞職願は無効なものに帰するから、右無効の辞職願に基く本件依願免職処分の取消を求めるため本訴に及んだ。

5  なお原告は、昭和四五年五月二七日、静岡県人事委員会に、本件依願免職処分の取消を申立てたところ、昭和四七年一一月一六日右申立を却け、本件依願免職処分を承認する旨の裁定を受けている。

二  請求原因に対する認否および被告の主張

1  請求原因第1項は認める。但し、訴外石田公夫は静岡県教育委員会事務局中部教育事務所管理主事であつた。

2  同第2項は認める。

3  同第3項は争う。

(被告の事実上の主張)

本件依願免職処分がなされるに至つた経過は次のとおりである。

(一) 原告は、昭和二七年四月静岡大学教育学部に入学し、昭和三二年三月同学を卒業、中学校教諭一級普通免許状(英語)を授与され、次の如き職歴を有するものである。

昭和三二年一〇月二九日 庵原郡蒲原町立蒲原中学校臨時講師

昭和三三年四月一日   安倍郡大川村立大川中学校(楢尾分校)教諭

昭和三四年九月一日   兼ねて楢尾小学校教諭

昭和三六年四月一日   庵原郡由比町立由比中学校教諭

昭和三七年四月一日   賀茂郡南伊豆町立三坂中学校教諭

昭和三八年四月一日   賀茂郡西伊豆町立田子中学校教諭

昭和三九年四月一日   庵原郡富士川町立第二中学校教諭

昭和四二年四月一日   庵原郡蒲原町立蒲原中学校教諭

昭和四五年三月三一日  願いにより本職を免ずる。

(二) 原告は、かねてから校長、同僚職員等から教科指導の拙劣、勤務態度、性格および同僚関係において教職員としての適性を欠くとして、退職を勧められていた。

(1) 教科指導の拙劣

原告は、教授方法に難点があり、特に授業中生徒が騒ぎだしてもこれを制止することができなかつたり、また授業の進め方については進度が遅れがちとなることがあつて、校長は自身で、あるいは教頭や英語科の主任を通じてたびたび原告に注意指導を行なつたが、その効果はみえなかつた。

一方蒲原中学校は高等学校進学率が県下でもつとも高い方に属し、父兄が教育について強い関心をもつているため、教師の教育方法に敏感に反応し、原告の教育方法の非難が学校当局や町教育委員会にしばしば持ち込まれていた。

このため、当時の校長北条周治は、昭和四二年度には週当たり授業担任時間数が英語八時間、社会科八時間計一六時間であつたのを、昭和四三年度においては週当たり英語四時間、特殊学級五時間計九時間に減らし、教材の研究、授業の研究に精を出してしつかりした授業ができるようにはかつた。ところが、その成果が依然としてみられなかつたため、校長北条周治は教員としてより他の道に進んだ方がよいのではないかと説得につとめ、辞職するよう勧告したが、原告はこれを拒否した。

昭和四四年度に校長は北条周治から堤保久へと交替した。堤校長は、原告の前年度の実績にかんがみて昭和四四年度には授業を担任させず、校務分掌からもはずし、第二学期の始まる前八月三一日まで辞職してもらいたいと説得をした。

原告はこの説得を拒否し続け、且つ授業の担任を希望したので、堤校長は原告に一時英語の授業を但当させ、中部教育事務所の高杉指導主事に指導と能力鑑定を求めたところ、やはり適格性に欠けるとのことであつた。

原告は、同年一〇月三〇日から翌四五年一月二六日までの間、持病のノイローゼがこうじ、特別休暇をとつて、医者の診断を受けながら自宅で静養した。一月二七日以降は学校に出勤したが、言動に異常なことが目立つて、完全な回復には至らなかつた。

堤校長はその後においても機会ある毎に辞職を説得するとともに、原告の父親の神谷照雄にも協力方を依頼した。父親も自分の責任でやめさせることを申し出、原告の説得につとめたが、これに対しても原告は拒否し続けて、応じなかつたた。

(2) 原告の性格及び同僚との協調性の欠如

原告の性質は、物事に計画性が欠け、ルーズな面があり、しかも一見温顔そうでありながら、かたくなで、他人の注意を受けいれない面もあつた。

このため学校内において他人に不快感を与える行動があり、同僚から注意されても改まらないこともあつて、同僚との間に円滑な人間関係が形成されず、異端者扱いをされた。

昭和四四年三月には、同僚職員二名から暴力の行使を伴うような退職勧告を受けたことがあるが、それは、右に述べたような原告の性格、行状に由来する。また、一年ごとに学校を変わつていることは、生徒の指導能力の欠如と同僚との協調性を欠くため、校長、同僚から暗に敬遠されていたことを示すものである。

結局、昭和四五年三月頃には校長、同僚職員、父兄がいずれも原告の退職を強く望むに至つたのである。

(三) 辞職願を提出するにいたる経緯

原告は、辞職願を提出するにいたつたのは、町長をはじめPTAの役員の強圧、脅迫も加わつて強制的に書かされたものであると主張するが、事実は次のとおりであつた(以下月日はいずれも昭和四五年である)。

(1) 三月二三日の説得

前項で述べたような事情のもとで、年度末の定期異動が近づいたので、中部教育事務所石田管理主事および北条教育長、磯部課長は、できれば年度末に退職してもらいたいと考え、三月二三日午前、町役場において、原告に対して依願退職するように説得した。たまたま、午前一〇時頃上京途次役場に立ち寄つた井上町長はこのことを聞き、自分からも頼んでみようということで、同室に入り、原告に対して「蒲原中学の父兄は先生に教わることを好んでいず困つている。先生の生きがいとしても、皆さんから尊敬されないところで教えてもつまらないでしよう。まだ若いのだから、他の道に進むこともできるのではないか。それには、およばずながらできるだけのご協力をさせてもらうから、できることならそうしてもらいたい。」と話して、室を出ていつた。

当日原告は、一応辞職するようなそぶりを見せたが、結局辞職願を提出するにいたらなかつた。

(2) 三月二五日(午前)の状況

三月二五日、教職員の年度末定期異動が新聞に発表されたが、原告の名前が転任、退職の中に載つていなかつたので、高柳PTA会長その他PTA役員ら四人は、同日八時頃、堤校長に抗議するとともに、原告に会わせてほしいと申し入れた。同校長はこれを断つたが、PTA役員らが強い態度で再三要求をくりかえしたため、止むなく原告に会わせるよりしかたがないと判断して、町教育委員会にその旨を伝え、午前九時頃宿直室で原告と堤校長は、PTA会長らの役員と面談した。このとき、堤校長、教頭、町教育委員会の磯部課長および中島係長が同席した。

高柳会長他PTA役員らは、原告に向つて、「子供に間違つて教えた。」、「英語がわからなくて高等学校に行つて困つている。」等の例をあげて、原告の教授方法を非難し、辞職するように強く説得の話し合いが行なわれた。堤校長は午前一一時二〇分頃、原告を宿直室に隣接している校長室に連れていつた。つづいて、中島係長と高柳会長が校長室に入つた。堤校長はやさしく、さとすように「もう神谷君、書きたまえ。」といつたところ、原告は納得してボールペンで辞職願を書きはじめたが、震えて字にならなかつた。

原告は、尿路結石の既応症もあつてふだんから多量に水分を摂取しており、当日も水をしばしば飲んだ。

原告は辞職願を書きはじめても手が震えて字にならなかつた。高柳会長は、校長から原告が「アトラキシン」という薬名の精神安定剤を常用していることを聞いたので、原告を落ちつかせるため、たまたま所持していた同剤を原告に与えたところ、原告は二錠をのんだ。

「アトラキシン」をのんだ後、原告は辞職願の用紙にボールペンで名前を書いたが、震えたぐにやぐにやの字体であつた。これに押印することになつたが、原告が印鑑を所持していなかつたので、原告は寄宿先である吹上寮にとりに行き、再び校長室にもどつて捺印した。このとき時間は正午近くになつていた。

(3) 辞職願に対する措置

堤校長と中島係長が町教育委員会に原告の辞職願を持参したところ、町教育委員会教育長職務代理者たる磯部課長から、その字体がきわめて稚拙不鮮明であつたので、辞職願を書きなおさせることにし、辞職願の用紙には記載する事項をあらかじめ記載して、本人に署名押印させるよう堤校長に指示した。原告は校長室において堤校長から、同日午前に作成した辞職願の字体が不明瞭であるので改めて署名押印するように求められ、これを承諾し、堤校長が準備した辞職願にボールペンで署名した。この署名はごく普通の字であつた。押印を求めたところ、原告は印鑑を所持していなかつたので、拇印を押させるとともに、かねて原告が事務室に預けてある印鑑を押した。

これが本件退職発令の基礎となつた原告の辞職願いである。

なお、PTA会長等の父兄が、原告に対して辞職するよう要望したことは争わないが、それは、三月二五日の午前中のことである。同日午後からは、校長室において堤校長等によつて説得が行なわれ、原告が辞職願に署名捺印したのは、同日午後三時頃で、PTA関係者はすでに帰つてしまつた後、校長らの立会の上のことである。

(四) 辞職願提出後の状況

(1) 三月二五日の状況

辞職願に署名押印した後、午後四時頃中島係長が自動車を運転し、堤校長と磯部課長が同乗して、原告を浜松市の実家まで送つた。

午後六時頃、原告の両親と妹に会つて辞職願が提出されたことを話した。

堤校長は、かねて退職勧告の助けを頼んであつたことでもあり、原告の心理状態も不安定であることも考慮し、父親にも原告が辞職の意思を表明したことを確認してもらいたい旨申し向けたところ、同人は即座に承諾した。中風のため字が書けないので、原告の母親に命じて辞職願の下欄余白に「上記の通り退職を認めました神谷照雄」と記入捺印をさせた。

同席した原告は何らの異議をさしはさむこともなく、かえつて、寄宿先である吹上寮から荷物を整理引揚げることについて堤校長と打合わせた。

(2) 依願免職処分の発令

三月二五日堤校長から町教育委員会に原告の辞職について意見の申し出がされ、町教育委員会は、三月二七日被告に対して辞職願の提出のあつたことの内申があり、被告はこれに基いて地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三八第一項の規定により、三月三一日付で依願免職の発令を行なつたものである。三月二九日この辞令書を伝達のため受けた堤校長が同日原告に手渡すべく実家をたずねたところ、不在であつたため、母親に依頼して帰つたが、三〇日母親から原告に手渡された。

(3) 退職後の状況

(イ) 原告は三月二七日に寄宿先の吹上寮に荷物をとりにきたが、その時に北条教育長が、町および町教育委員会からの餞別金を渡したところ、快くこれを受け取つた。

(ロ) その後、四月七日原告は蒲原中学に出向いて、堤校長に退職の挨拶をし、荷物を引き揚げた旨の報告をした。その席上、堤校長は原告に対して、退職金等の請求手続について同校出島事務職員に相談しておくよう指示したところ、原告はこの指示に従つて、出島事務職員と退職金等の請求手続について相談し、依頼して帰つた。

(ハ) 五月二八日被告は、退職金七三九、四五六円を静岡銀行坂屋町支店の原告名義の口座に振込んで送金した。

この金はその後原告の家を建てるにつき、その建築費の一部として費消された。

(ニ) 原告は、五月一八日から浜松市所在の鈴木鉄工所株式会社に就職し、労務課勤務となり、従業員募集の仕事に従事していた。

(ホ) 退職発令が原告に到達したのは、三月三〇日であつたが、その後原告から退職処分に対する異議や辞職願の撤回などの意思表示がなされたことはない。もつとも、五月二七日県人事委員会に対して本件退職処分の取消を求める不利益処分審査請求がなされたが、これは辞職願の撤回とは異質別個のものである。

4  同第4項は争う。

(被告の法律上の主張)

(一) 原告が本件辞職願を作成するに至つた経緯は、前項に主張したとおりである。右主張の事実からすれば、本件辞職願が訴外人らの強迫に基いて作成されたものとみることはできない。けだし、強迫とは不快に害悪を告知し、その結果相手方が畏怖することを言い、害悪の告知それ自体も違法なものであることを要するところ、本件辞職願を書く過程において、原告に対しかかる違法な害悪の告知があつたものとは認められないからである。

原告は、辞職願を書かない場合においては分限処分を受けるかも知れないという気持との兼ね合いから態度決定に逡巡したうえ、結局本件辞職願を書くに至つたものと認めるのが相当である。

しかして、辞職願は、当該願に基く退職発令以前においては、信義則に反しない限り撤回することが出来るが、退職発令後にはその撤回は許されない。原告に対しては、既に昭和四五年三月三一日に退職処分の発令がなされているのであるから、本件辞職願は撤回の余地はないと言わなければならない。

(二) 仮りに、本件辞職願が強迫に基いて作成されたものであつたとしても、当該辞職願に基いて退職が発令されたのちは、退職処分は行政処分としての公定力を生じているから、そののちに辞職願を取消すことは出来ない。

(三) 仮りに、本件退職処分の形成過程に瑕疵があつたとしても、原告は退職辞令を異議なく受領し、かつ前述のとおり退職金および退職一時金の受領方法として銀行を指定し、その受領後これらの金具を自己の生活上必須のものとはいえない貸家の建築資金に使用するなど、社会通念上辞職を追認したとみられる行為をしている。このことは意思表示の瑕疵に基く取消権の放棄にあたり(民法第一二五条の類推適用)、信義則上からも、辞職願の意思表示を取消すことは許されない。

5  同第5項は認める。

三  事実上の主張に対する原告の認否および法律上の主張に対する原告の反論

1  被告の事実上の主張に対する認否

(一) 事実上の主張(一)は認める。

(二) 同(四)の(1)のうち、原告が何ら異議をはさまず、また荷物の整理引きあげの打合せをしたとの点は争う。当時、原告には堤校長らによる前記強制行為の余韻が残つており、また父親は原告にとつて非常に恐い一徹な存在であり従前から辞職を勧められていた事情もあつて、真意を自由に吐露することができなかつたのである。

その余の事実は認める。

(三) 同(四)の(2)のうち、被告主張の日時に辞令が出て、母親に交付されたことは認める。

(四) 同(四)の(3)(イ)のうち原告が三月二七日、吹上寮に荷物をとりに行つたことは認める。その折、北条教育長は、原告が餞別金の受領を固辞したため、畳のうえに置いていつてしまつたのである。

(五) 同(四)の(3)(ロ)のうち、原告が蒲原中学校に出向いたこと、その際堤校長から退職金の請求手続について、出島事務職員と相談するよう指示があり右出島と話し合つたことは認める。しかしこのことは原告が本件免職処分を承認していたことを意味しない。原告の真実の気持は、強迫された被害者意識と無念さ、絶望等が混然一体となつて、辞職願の撤回を申し出る勇気を欠いていたというにすぎない。

(六) 同(四)の(3)(ハ)の事実は不知。退職金の受領手続は原告と無関係に父親がなしたものであり、その費消方法も父親が勝手に決めたものである。

(七) 同(四)の(3)(ニ)の事実は認める。

(八) 同(四)の(3)(ホ)のうち、退職発令の到達は認める。しかし、その後、原告から異議や辞職願の撤回の意思表示がなかつたとの点は争う。

原告は被告に対し、電話で再三、異議、撤回を申し入れている。

2  被告の法律上の主張に対する反論

(一) 法律上の主張(一)において、被告は退職発令後は辞職願の撤回は許されないと主張する。

しかし、「撤回」とはその対象たる意思表示に瑕疵のないことを前提とするが、本件においては、当該辞職願は、抵抗すべからざる強制による意思の選択の自由を欠くものとして、当然無効少なくとも取消しうるものと主張しているのであるから、被告の右主張は本件に妥当するものではない。

(二) 同(二)において、被告はいわゆる「行政処分の公定力」の主張をなしている。

しかし、既に主張したとおり、本件辞職願は当然無効のものであつて、単なる瑕疵ある意思表示にとどまるものではない。従つて、当然無効の辞職願に基いてなされた本件退職処分も無効のものであつて、結局被告の主張は本件では意味をもたない。

仮りに、本件辞職願が当然無効ではなく、強迫による意思表示として取消しうるものであるとしても、被告の右主張は理由がない。

即ち、一般に講学上行政行為については「公定力」という私法上の法律行為には見られない特殊な効力の存在が承認されている。かかる「公定力」とは、行政行為が違法の行為であつても、権限ある機関による取消のあるまでは、一応適法の推定を受け、相手方はもとより、第三者、国家機関もその効力を否定することができない効力のことをいうとされている。従つて、違法な行政行為であつても、その効力を否定するためには、私人としては当該監督官庁に取消を求めて訴訟を提起ししなければならないとされる。

いわゆる「行政処分の公定力」を右のように解すれば、本件においては、現に訴訟が提起され、まさに本訴訟において本件退職処分の効力それ自体が争いになつているのであるから、ここにおいて退職処分の「公定力」を持ち出す余地はありえないと言わなければならない。違法な行政行為の取消を求めている者に対し、「公定力」を以つてこれを斥けうるとしたならば、法が行政行為の取消訴訟を認めた趣旨が全く滅却されることになるからである。

第三証拠<省略>

理由

一  被告が、原告の被告宛昭和四五年三月二五日付辞職願に基いて、同月三一日、原告に対して依願免職処分をなしたこと、および三月二四日当時の原告および請求原因第1項記載の訴外人らの職が原告主張のとおりであることは石田主事を除き当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、右当時、石田主事は静岡県教育委員会事務局中部教育事務所管理主事の職にあつたものと認められる。

原告は、右辞職願は右訴外人らによつて強制されて作成されたものであり、原告の真意に基くものではないと主張するので以下この点につき判断する。

二  本件依願免職処分に至る背景

1  原告の略歴

原告の略歴に関する被告の事実上の主張(一)については当事者間に争いがない。

2  原告の蒲原中学校における勤務状況

成立に争いのない乙第三、第四号証、第六ないし第一〇号証、第一三号証および原告本人尋問の結果を総合すれば次の事実を認めることが出来る。

原告は、かねてから校長、同僚職員等から教科指導が拙劣であり、勤務態度、性格および同僚関係において教職員としての適格性を欠く、として退職を勧められていた。

(イ)  教科指導の拙劣

原告は英語の学力においては他の教員に比して遜色はなかつたが、その教授方法に難点があつた。即ち授業中生徒が騒ぎ出してもこれを制止することができなかつたり、授業の進め方については復習の時間が長過ぎて進度が遅れがちであつた。校長は、自ら、あるいは教頭、英語科主任を通じて、たびたび原告に注意指導を行なつたが、その効果は表われなかつた。

一方、蒲原中学校は静岡県下で高校進学率がもつとも高い方に属し、父兄が教育について強い関心をもつているため、教師の教育方法に敏感に反応し、原告に安心して英語の授業をまかせられないという非難が、学校当局や町教育委員会にしばしば持ち込まれていた。

(ロ)  原告の性格および同僚との協調性の欠如

原告は人に親切で頼まれれば断われないし、考え方も純粋で温順であると評される反面、物事に計画性が欠けルーズで忘れつぽく、また、社会人としての常識に欠け、かたくなで人の注意を受けいれない面があつた。このため、学校内において他人に不快感を与える行動があり、注意されても改まらなかつたり、原告の授業担任時間数が減少されて、その分が同僚教員にしわ寄せされることになつたりしたため、同僚との間に円滑な人間関係が形成されないままに異端者扱いをされていた。昭和四四年三月に、同僚教員二名から暴力の行使を伴うような強制的な退職勧告を受けたことがあつた。

(ハ)  辞職勧告の経過

昭和四二年、四三年当時の蒲原中学校校長北条周治は、原告の右のような事情、前任校での評判などを考慮して、原告の担任授業時間数を減らし、教材の研究、授業方法の研究に精を出してしつかりした授業が出来るようにはかつた。しかしその成果が表われないため、北条校長は原告に対し、教員としてより他の道に進んだ方がよいのではないかと説得につとめて、辞職を勧告したが、原告はこれを拒否した。

昭和四四年度に、校長は北条周治から堤保久へ交替した。堤校長は、前年度の実績にかんがみ、原告に授業を担任させず、校務分掌からもはずして、後任の教員を補充する目的で、原告に対し、第二学期の始まる前までに辞職してもらいたい旨の説得をした。更に同年一〇月、原告に英語の授業を担当させ、中部教育事務所の高杉指導主事の指導と能力鑑定を求めて、原告に英語の担当能力が不足していることを自覚させようとした。堤校長はその後においても、機会あるごとに原告に辞職するように説得し、その回数は十数回におよんだ。更に堤校長は原告に大きな影響力をもつ父親の神谷照雄にも協力方を依頼した。父親は自らの責任で原告を辞職させることを申し出て、原告の説得に努めた。しかし、原告はこのような説得をすべて拒否し続けて、そのかわりに異動の希望を申し出た。しかし、堤校長、北条教育長は原告には辞職してもらうしかないと考えており、異動の対象、その他の措置について、何ら被告に対し内申をしなかつた。

右のような経過で、昭和四五年三月ころには、校長、父兄などが原告の退職を強く望むに至つた。

乙第九号証、原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用しえないし、その他右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  本件辞職願を作成するに至る経緯

1  昭和四五年三月二四日の説得状況

成立に争いのない乙第四、第六、第七、第九、第一三号証および原告本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。

三月二四日午前、石田主事、北条教育長および磯部課長は、町役場の「なぎさ」の間において、原告に対し辞職するように説得した。午前一〇時ころ、所用のため上京の途中町役場へ立ち寄つた井上町長は、原告が役場において辞職の説得を受けているということを聞き、自らも頼んでみようと思い、同室に入り原告に対し、「蒲原中学校の父兄は先生に教わることを好んでいず困つている。先生の生きがいとしても皆さんから尊敬されないところで教えていてもつまらないでしよう。まだ若いのだから、他の道に進むこともできるのではないか。それには及ばずながら出来るだけの協力をさせてもらうから、できるものならそういうことを理解して判断していただきたい。」と言い、繰り返えし「頼みます。」と言つた。原告は「やめたほうがいいですねえ」と言い、井上町長はそれに対して「できるものならそうしてもらいたいねえ。」と答えるなどした。

当日は、井上町長からこのような説得があつたが結論のでないままに終つた。

乙第四、第六、第一三号証、原告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は採用しない。

2  同月二五日午前の状況

成立に争いのない乙第三ないし第六号証、第八、第九号証、第一三号証および原告本人尋問の結果を総合すれば次の事実を認めることができる。

(一)  三月二五日、教職員の年度末定期異動が新聞に発表されたが、原告の名前が転任、退職者の中に載つていなかつたので、前々から原告を蒲原中学校から排除したいと考え、町教委や校長にその旨要望していた高柳PTA会長らPTA役員五名は、同日午前八時ころ、蒲原中学校に集合し、堤校長に対し、「神谷先生に会わせてほしい。前からお願いしていることを直接神谷先生にお願いしたい。」旨申し入れた。堤校長はPTAの強硬な申し入れに困惑し、北条教育長に相談するため町役場に電話をかけたが、同教育長が不在であつたため、教育長職務代理者である磯部課長と相談し、結局、PTA役員の態度からみて原告を同役員らに会わせるほかないと判断し、磯部課長が同校に原告を連れていくことになつた。

(二)  磯部課長と中島係長は、午前八時三〇分ころ、原告の寄宿先である吹上寮の原告の部屋をたずね、「PTAが先生に会いたいと言つている。私も困つているから会つてくれないか。」「私がこういう事態になると困るよ、ということは言つてあつて、あなたも承知しているではないか。とにかく会つてもらいたい。」と申し向けた。原告は最初右申し出に渋つていたが、結局同意し、中島係長の運転する自動車で蒲原中学校に出向いた。

(三)  学校に着いてから、原告は磯部課長の指示があつて、ひげをそつた。午前九時ころ、宿直室へ行き、PTA役員らと面談した。堤校長、教頭、磯部課長および中島係長がこれに同席した。

高柳PTA会長が原告に対し、「二年間あなたの様子をみてきたけれども、PTAから相当苦情が出ている。校長さんにお願いしてもらちがあかない。先生は蒲原にむかない、ぜひやめてもらいたい。」などとくり返えし説得したのに対し、原告は「これから一生懸命やるから何とかいさせてください。そしてできたら転任させてもらいたい。」と懇願するだけであつた。そこで高柳PTA会長は、堤校長や磯部課長に対し「なぜ、希望をいれて転任させないのか。」と詰問した。堤校長らは原告に対し、「もう異動の時期は終つているし、転任については他の市町村で受け入れるところがなかつたではないか。」と答えた。そこでPTA役員らは原告を蒲原中学校から排除するには原告に辞職してもらう以外に方法がないと考え、「子供に間違つて教えた。」「英語がわからなくて高等学校に行つて困つている。」などと原告の教授方法を非難し、原告に強く辞職を迫つた。しかし原告の答えは「いけなければ、これから一生懸命やるからいさせて下さい。」の一点張りであつたため、PTA役員らは次第に興奮し、「そんなにわからずやですか。」「やめなければPTAの役員と父兄を運動場に呼んで旗を振つてやめさせる。」などと発言する者が出て、高柳PTA会長も「おれもやめるからお前もやめろ」などと発言するに至つた。

そしてこのようなやりとりが、二時間余にわたつて行なわれた。

(四)  第一回目の辞職願が作成されるに至つた状況

右のような説得が続けられて収拾がつかなくなつたため、堤校長は、午前一一時二〇分ころ原告を宿直室に隣接している校長室に連れていつた。中島係長、高柳PTA会長が同室に続いて入つてきた。

校長室は、従前の喧噪な雰囲気と異なり、静かな雰囲気になつた。堤校長は原告にさとすように「もう神谷君、書きたまえ。」と言つて、辞職願の用紙を執務机の上に差し出した。原告は机の前に座つて、ボールペンで辞職願を書きはじめたが、意識的に手を震わせたため字にならなかつた。堤校長らは原告が辞職する気になり、これが最後だと思うと手が震えるのだろうと考え、原告の気持を和らげるために、「まつすぐに書いてみなさい、横に書いてみなさい。」などと指示した。

原告に辞職の意思の存在したことの証拠とするため、中島係長は、原告が辞職願を書いている状況を写真にとろうとしたが、原告の抗議にあつて、これを中止した。

原告が故意に手を震わせて署名するため、辞職願は容易に出来あがらなかつた。その間原告はしばしば水を要求し、何度も便所へ通つた。そのうちには、中島係長が一諸に便所について行くことがあつた。

堤校長は原告を落着かせるために高柳PTA会長と相談のうえ、原告に対し、精神安定剤「アトラキシン」を混入した水を与えたが、原告は「にがい。」と言つてこの水を飲むのを止めてしまつた。

その後も、原告は数枚の辞職願を書いたが、いずれも字が震えていて幼稚園児が書いたようなものであつた。

そして、右のようにして作成された辞職願に押印することとなつたが、原告が印鑑を所持していなかつたので、堤校長らは原告を町教委事務局職員訴外加藤貴功の運転する公用車に同乗させて、吹上寮に印鑑を取りに行かせた。原告が再び校長室に戻つてから、堤校長が印鑑に朱肉をつけて「押しなさいよ。」と言つて原告に渡した。原告は押印するに際しても、意識的に手を震わせたため、印影がはつきりと出なかつた。そのうちに、辞職願の一枚に印影のはつきりとしたものが出来たので、中島係長がこれを取りあげた。

堤校長と中島係長は右辞職願の原告の署名が不明瞭なものであつたため、町教委の指示をうけるため、右辞職願を持つて、町教委のある役場まで出向いた。

前掲各証拠のうち右認定に反する部分は採用しない。

3  同日午後の状況

成立に争いのない乙第一号証(但し、原告の署名、指印、押印が原告の意思に基くものであるか否かについて争いがある)および前掲各証拠を総合すれば次の事実を認めることができる。

(一)  堤校長と中島係長は前記認定の辞職願を持参して町教委へ行つた。同所において、磯部課長、中部教育事務所長、同事務所教職員課長らに右辞職願を見せたところ、辞職願の字体として体裁が整つていないため、再度、原告に辞職願を書き直してもらう方がよいということになつた。そして新たな辞職願には必要事項をあらかじめ記載しておき、原告には、署名押印させるだけにするという方針が決められた。堤校長は、井上町長に会つて、これまでの経過を説明したのち、午後二時ころ帰校した。

その後、井上町長は自らも原告を説得しようと考え、午後三時一〇分ころ、学校へ赴いた。

(二)  その間、原告は学校に残り、昼食をとつたり、職員室において同僚の教諭に「とうとう判を押しちやつた。」「書いちやつたよ、困つたなあ。」などと話をしていた。

午後三時一〇分ころ、井上町長、磯部課長、堤校長らが校長室に入り、原告も入室を促された。そこで原告は所持していた印鑑をゴミ箱に捨てて入室した。

(三)  本件辞職願「乙第一号証」が作成された状況

校長室において、井上町長は原告に対し、第一回目の辞職願の署名が不明瞭なものであることを指摘して、「真実の男らしい字ではないではないか。」「自分で署名した真実のものを書いたらどうか。」「神谷先生、町の理事者としての男が畳に額をつけて頼んで分つてくれたと思つていた。あんたも男だから分つてくれよ。」などと言い、堤校長も、「神谷先生、あんた男の花道ということもある。町の理事者がこのようにお願いしているのはよくよくのことだ。あんたもそういう男の花道を分つてくれなければうそではないか。」などと話した。その後、前記加藤貴功と堤校長が必要事項を記載し、署名押印するだけになつている辞職願を差し出したところ、原告は午後三時三〇分ころに至り、辞職願を書かなければ何をされるかわからないという畏怖の念からこれにボールペンで署名した。そこでこれに押印することになつたが、原告が前記の事情で印鑑を所持していなかつたので、拇印を押捺させた。更に、前記加藤が事務室から原告が使用している印鑑を持ち出してきて、堤校長がこれに朱肉をつけて原告に渡し、磯部課長が押捺する場所を指示して原告に押捺させた。

前掲各証拠のうち、右認定に反する部分は採用しない。

四  本件辞職願が作成された経過は右認定のとおりである。

右認定の事実によれば、本件辞職願は前記訴外人らの強迫行為によつて作成されたものであり、瑕疵ある意思表示として取消しうるものであると言わなければならない。これを詳説すれば、次のとおりである。

1  本件の背景

原告は蒲原中学校へ赴任した当初から、当時の北条校長から担任授業時間数を減らされるなど、他の教員とは異なつた差別的な取扱いを受けていた。昭和四四年度には堤校長から全く授業を担任させられずそのうえ校務分掌からもはずされてしまつた。そして専ら、北条前校長、堤校長らから辞職を勧告されていたのである。

そのことは、原告の授業方法の拙劣さ、同僚との協調性の欠如、原告の授業方法に対するPTAからの苦情の申し出など前記第二項認定の事実に起因するものであり、右認定の事実に鑑みれば、確かに、原告には教員としての適格性において欠けるところがないとは言えない。しかし、原告は右辞職勧告を一貫して拒否し続けた。「一般的にはこのような立場におかれながら学校に勤務することの精神的苦痛はいかばかりか、想像に余りあるが、原告がこのような扱いを受けながらも辞職の説得を拒否しつづけてきたことは、原告にいかに強く辞職の意思が存していなかつたかを如実に示している。」(前出乙第一三号証、静岡県人事委員会判定書)ものと言える。

しかるに、町教委、堤校長らは、他に考えられる措置(例えば地方公務員法に基く分限処分)を講じようとせず、原告が自発的に辞職することによつて問題を解決する方法のみに固執した。しかし、原告に辞職の意思が全く存在しなかつたことは右にみたとおりである。従つて、堤校長らの原告に対する辞職の勧告は、堤校長らが原告の辞職を強く望むに比例して、原告の意思に反した不自然なものにならざるを得ない背景を有していたものと言える。

2  三月二四日の状況

井上町長による原告に対する辞職の慫慂はその手段、方法においては咎めらるべき点はない。しかし、教員の任命・管理等につき何らの権限を有しない町長が、教員人事に自ら直接介入するということは「教育の独立を侵す行為であり、厳につつしむべき」(前出乙第一三号証)ものである。

のちに述べるように、原告が本件辞職願を書くに際して、井上町長の存在は無視しえない影響力を及ぼしたものと考えられる。

3  三月二五日午前の状況

前認定のとおり、蒲原中学校のPTA役員らは、かねてから原告の授業方法に不満、不信を抱き、その子弟に対する教育効果への危倶から原告が辞職することを望んでいた。三月二五日朝、教職員の年度末定期異動が新聞に発表されたが、原告の異動が報じられていなかつたために、PTA役員が直接原告に面談して辞職を勧告することになつたのである。

「およそ、PTA役員らの教員人事についての要請は校長、町教委または任命権者に対し希望するのが一般的通念であつて、直接本人に要請することは教育独立性の建前からも不当な行為と言わなければならない。いわんや任用、退職のような重要な人事についてはなおさらのことである。もつとも、民主団体としてのPTAはいかなる意思の発表をすることも自由であり、また再三にわたる町教委、校長らに対する原告排除の要望が、らちがあかない、として直接本人に対し要望することになつた事情はその前の経緯からみて推量できない訳でもないが、気に入らない教育をする教員や好ましくない性格の教員などを排除する手段として教員個人に直接要請することは、PTAが学校教育の中で与える影響が大きいことから考えても、近代教育の基本ともいうべき公教育の独立を侵す行為と断ずべきである。」(前出乙第一三号証)

更に問題とさるべきは、原告に対する辞職勧告の方法についてである。

先づ、宿直室において、PTA役員数名、堤校長、磯部課長、中島係長らが原告を取り囲み、口々に、辞職願を書くように要請した。原告は辞職を望まず、転任の希望を出した。ところが原告に転任の可能性がないことが判ると、PTA役員らは、原告に辞職の意思が存しないことが明らかであつたにも拘らず、原告に対し更に激しく辞職を迫つた。PTA役員らによる右行為は、原告の自由な意思に対する不当な干渉であつて、右辞職の要請は、もはや説得の段階を越えて、辞職の強要をなすに至つたものとみることができる。そして右要請にあたつた人数、場所、所要時間のほか、「おれもやめるからお前もやめろ」「やめなければPTAの会員を運動場に呼んで旗を振つてやめさせる。」などの発言内容を考慮すれば、原告に対する右行為は、多数人による「つるしあげ的な強制行為」であり、「暴力など伴なわないとしても、目的のため手段を選ばない行動であり、社会通念上の自由な意思表示の範ちゆうを逸脱した不当行為というほかない。」(前出乙第一三号証)

引き続き、校長室において、堤校長らは原告に対し、辞職願を書くように要求した。その際の堤校長らの原告に対する手をかえ品をかえた執拗な言動は、原告に辞職の意思があるなしを問わず、ともかくも辞職願を書かせようと意図するものであつて、宿直室での「つるしあげ的な強制行為」に連続する不当な強制行為と言わなければならない。

右一連の強制行為の結果、訴外人らによつて何をされるか分らないと畏怖した原告が作成した第一回目の辞職願は署名が不鮮明であつたため採用されるに至らなかつた。

しかし右強制行為は、同日午後、原告が本件辞職願を作成するにあたつても、強い精神的影響を与えていたものと考えられる。

4  同日午後の状況

同日午後の井上町長、堤校長らによる原告に対する要請は、署名の不明瞭だつた第一回目の辞職願を新しく書き改めさせようとするものであつた。従つて、その要請は午前中におけるPTA役員らによる「つるしあげ的強制行為」に引き続き、それに附加するものとしてなされたものとみることができる。そして要請の方法は異なつていても、原告にとつては辞職の途以外にない要請である以上、原告の意思決定に対する不当な干渉、強制行為であると言わなければならない。原告は町長までもが参加して自己に辞職を強要するために、辞職願を書かなければ、何をされるかわからないという畏怖の念から、万策つきて、本件辞職願(乙第一号証)を作成するに至つたのである。

右のとおり本件辞職願は、前記訴外人らの強迫によつて作成されたものであり、取消し得るものである。

なお原告は、第一次的主張として、本件辞職願は当然無効のものであると主張する。しかし、前記認定の事実によれば、本件辞職願に署名する際に原告が完全に意思の選択の自由を喪失していたとは言えないし、押印が全くの物理的強制によつてなされたとみることもできないから、右主張は採用しない。

五  原告が昭和四五年五月二七日、被告を相手として、静岡県人事委員会に対して本件依願免職処分の審査請求をなしたことは当事者間に争いがない。原告は右審査請求によつて被告に対し本件辞職願の取消の意思表示をなしたものと認めることができる。

六  被告の法律上の主張に対する判断

1  法律上の主張(一)について

被告は、原告が本件辞職願を書く過程において、違法な害悪の告知があつたものとは認められないから、本件辞職願は強迫に基いて作成されたものとは言えないと主張するが右主張は採用できない。

強迫行為とは、相手方に畏怖を生じさせる行為であつて、行為の態様には制限がない。従つて、害悪を告知することにとどまらず、沈黙も場合によつては強迫行為となりうる。本件辞職願が作成される過程において、前記訴外人らが原告に対して、畏怖を生じさせるに足る行為をなしたことは前述のとおりである。右行為は、原告をして全く意思の自由を喪失させる程度には至らないが、少なくとも威圧によつて、原告に辞職願を書かざるを得ない状態に追い込んだものであるから、民法第九六条にいう強迫にあたると言うべきである。

また被告は、原告は分限処分との兼ね合いから態度決定を逡巡した揚句、結局自発的に本件辞職願を書くに至つたと主張するが、右主張を認めるに足る証拠はない。

被告の辞職願の撤回についての法律上の主張は、本件辞職願の意思表示に瑕疵のないことを前提とするものであるが、右に判断したとおり、右前提についての被告の主張は理由がないから、結局その主張の前提を欠くこととなり、その余につき判断するまでもなく、採用できない。

2  法律上の主張(二)について

被告の行政処分の公定力に関する主張は理由がない。

行政処分の公定力とは、行政行為が存在するとそれが法的要件を備えた効力を有するか否かが疑わしいときでも、権限ある行政機関又は裁判所によつて、正規の手続で取消されるまでは一応有効なものとして通用し、何びとも、その拘束力を否認することができない効力のことを言うものであり、被告の主張するように、ひとたび行政行為が存在すれば、何びともその違法を争えなくなる効力までをも有するものではない。

従つて、行政行為の違法を争うものは、事後的な争訟手段によるべきものであつて、わが国の実定法が行政行為の取消訴訟を明文で認めているのはその趣旨である。

これを本件についてみると、原告はまさに事後的な争訟手段たる本訴において、本件辞職願に基く本件依願免職処分(行政処分)の効力を争つているのであるから、ここにおいて行政処分の公定力の議論を持ち出す余地がないことは明らかである。

3  法律上の主張(三)について

被告は、仮りに原告の本件辞職願の意思表示に瑕疵が存在したとしても、原告はその後、辞職を追認したとみられる行為をなしたものであり、それは瑕疵ある意思表示の取消権の放棄にあたると主張する。

よつて以下検討するに、辞職者によつて取消権の放棄がなされたと認められるためには、明確な証拠によつて、それが当該辞職者の確定的な真意に基くものであることが裏づけられなければならないと解される。

ことに本件のように、強迫によつて辞職願が提出されたのち、それに引き続く一連の行為が当然に予想されるものにあつては、原告がその行為の一部に異議を述べなかつたり、或いはあたかもそれを容認、黙認したかの如き態度を示したとしても、そのことをもつて、直ちに、原告が辞職を追認した(取消権を放棄した)ものとみることはできない。けだし、既に辞職願を書いている以上、内心では辞職を承認しない気持を有していても、その意向を外部に明示的に表示し得ず、暫時事態の推移にまかせることは通常あり得ることであり、とくに強迫に基いて辞職願が作成されている場合には、辞職を承認しない旨の明示的な意思表示をなすには、格別の困難が伴うと考えられるからである。

そこで以下、本件辞職願提出後の原告の行動につき検討する。

(一)  被告の事実上の主張(四)の(1)のうち、原告が「何ら異議をはさまず、また荷物の整理引きあげの打合せをした。」との点を除き、当事者間に争いがない。

前出乙第四、第九、第一一、第一三号証、証人神谷照雄の証言、原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は堤校長らと父親との話し合いの間、何ら積極的な意思表示はしなかつたと認めるのが相当である。乙第四、第一三号証のうちには、原告が辞職を承諾する応答をなしたかの如き記載があるが、採用しえない。また、乙第四号証によれば、磯部課長が原告に対し吹上寮からの荷物の引揚げについて、いつでも取りにきてよい旨指示をしたことは認められるが、それについて原告と打合せをした事実を認めるに足らない。

結局、原告は右席上、本件辞職願作成の手続について異議を述べることもなく、また辞職を承認する発言もしなかつたものと認められる。

(二)  同(四)の(2)のうち、被告主張の日時に辞令が出て、母親に交付されたことは当事者間に争いがない。

(三)  同(四)の(3)(イ)のうち、原告が三月二七日、吹上寮に荷物を取りに行つたことは当事者間に争いがない。前出、乙第四、第九、第一三号証、原告本人尋問の結果によれば、その折、原告は北条教育長からせん別金の交付を受けたことが認められる。

(四)  同(四)の(3)(ロ)のうち、原告が四月七日に蒲原中学校に出向いたこと、その際堤校長から退職金等の請求手続について、出島事務職員と相談するように指示があり、原告が右出島と話し合つたことは当事者間に争いがない。乙第四、第一三号証によれば、右機会に原告が堤校長に対し、吹上寮の荷物を引きあげた旨の報告をしたことが認められるが、退職の挨拶をした事実を認めるに足らない。

(五)  同(四)の(3)(ハ)について。乙第九、第一一、第一三号証、証人神谷照雄の証言、原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

五月初めころ、静岡県教育委員会事務局福利課から原告の父親方へ、退職金を送金するについて、振込先である銀行と口座を指定されたい旨の連絡があつた。このことを母親から聞いた原告は同課に電話で「退職したのではないから退職金はいらない」旨申し出た。しかし母親は原告との向とは離れて、静岡銀行板屋町支店に原告名義の口座を作り、五月七日に送金を受けた。退職金は、その後父親らが原告の将来を思い貸家を建てるにつき、その建築費の一部として費消した。乙第一一号証のうち、原告が退職金の使途について了解していたとの部分は採用しえない。

(六)  同(四)の(3)(ニ)については当事者間に争いがない。

(七)  同(四)の(3)(ホ)のうち退職発令の到達については当事者間に争いがない。乙第九号証、原告本人尋問の結果によれば、原告は、三月下旬ころから県教委、堤校長らに対し、本件辞職に承服しかねる旨の申し出をなしていることが認められる。

右各認定を覆すに足りる証拠はない。

原告の本件辞職願提出後の行動は以上のとおりである。しかして、先に述べた基準に照せば、右認定の事実をもつて原告が本件辞職を追認したと認めることはできない。

確かに原告の行動のうちには、北条教育長からせん別金を受けとつたり、吹上寮から荷物を引きあげたりなど、辞職を前提とした行為が散見されないわけではない。しかし、他方で原告は、県教委、堤校長らに本件免職処分の不当性を申し出たり、県教委に対し、退職金を受領する意思のないことを通知したりしているのであるから、原告の右行動が辞職を追認するものとしてなされたと判断することは、原告の真意から離れた一面的な見方であると言わなければならない。そして原告は、右辞職を前提としたとみられる行為の他、直接に辞職を追認したと評価し得る明確な意思を何ら表示していないのである。即ち、右段階では原告は確たる意思決定をなしておらず、辞職を既定の事実として受けとめながら、なおそれに承服し難い気持を抱いていたものと認められるのである。

そして、前記認定の事実の他に原告が確定的な真意に基いて、本件辞職を追認(本件辞職願の取消権の放棄)したと認めるに足る証拠はない。

右のとおりであるから、結局、原告の辞職願提出後の行為をとらえて原告が辞職を追認したとする被告の法律上の主張(三)も理由がない。

七  以上のとおりであつて、被告の法律上の主張はいずれも理由がない。

とすれば、前記原告の本件辞職願の取消の意思表示によつて、本件辞職願は無効に帰したと言わなければならない。

そうすると、被告の原告に対する本件依願免職処分は無効の辞職願に基いてなされたことになり、その法的基礎を欠く違法なものとして取消さるべきである。

よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 片桐英才 宍戸達徳 坂本慶一)

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